地上波3作目映画を見ていてルスネ萌えの原点に立ち返った思いでした。
ハリー相手に橋の上でリリーについて話すルー先生を見ていて、こんなふうにルー先生がスー先生について語ることはあるのだろうかと妄想しました。
「ああそうだ、わたしは彼を知っている。彼はわたしの同級生だった。よくできる生徒だったよ。学ぶことに貪欲で、どんな教科にも熱心に取り組んでいた。特に闇の魔術にご執心だった。魔法界全体が闇の魔法使いの過激なやり方に反感を抱いていて、もちろん学校でもその風潮はあった。彼は格好のいじめの対象だったよ。私の友達を筆頭に、みんな彼を笑い者にして楽しんでいた。私は止めなかったよ。止められなかった。彼が憎まれていれば私は憎まれずにすむ。彼がいるせいでみんなは私が異質な存在であることに気がつかない。私の友達は私をいい友達だと思ったかもしれない。けれど虐げられることの痛みを知っている私が、虐げられている彼の肩を持ったりしたら、果たして私を友達だと呼んでくれただろうか?
彼は人の本質を見抜く人だった。他のみんなが私を信じたときでも、彼は私の正体を見抜いていた。人狼だってことだけじゃない。弱くて狡猾で、諦め慣れてるふりをしても何ひとつ捨てられずに過去にしがみついている私の正体をね。
とても申し訳なく思っているよ。彼だけにあんなつらい思いをさせなければならなかったことに。そのことに気づかなかったことに。気づこうとしなかった。汚れどころはいつでも彼だ。みんな、彼を憎んでいればそれで気が済む。けれど彼は憎みながらもその対象を必死に守ってきた。命をかけるほどにね。
彼は決して悪い人間ではなかった。今の君は彼が命をかけて守ったものの筆頭じゃないか。そんなに嫌そうな顔をしてはいけない。彼は尊敬に値する、惜しむべき存在なんだ。今はそう思えないかもしれないけど、いずれわかるよ。
さあ祈ろうハリー、彼のために。ここにいない彼が心安らかであるように」
でもこんなのはいやだ。失われた後にしみじみ思い出されて語られるなんていやだ。ルー先生とスー先生にはなんとしてでも原作終了までに和解していただきたい。