「気付かないんですか?スネイプが憎んだ人間はみんな死んでしまう」という言葉、もしかして逆なのではないかということに気付きました。スネイプが憎んだ人間ではなく、ハリーを愛した人間がみんな死んでしまうのです。ジェームズ、リリー、シリウス、ダンブルドア。
もしかして、ヴォルデモートに立ち向かうには、「愛する者の死」という要素が必要なのではないでしょうか?それから得られる闘争心が必要なんでしょうか?それでダンブルドアは自分がむざむざ殺される結末に甘んじたのでしょうか?『ヴォルデモ−ト側』であるスネイプ先生が自分を殺す光景をハリーに見せることによって、ハリーのスネイプへの(ひいてはヴォルデモートへの)怒りが更に高まるように。これは単なる感情の話ではありますが、リリーがハリーを庇って死んだ事が『死の呪文』を跳ね返したということを考えると、ありえそうに思えてきます。
ハリーにあってヴォルデモートにないものは、「愛することができる力」ではなく、「愛するものを奪われた経験」です(ダンブルドアがハリーに語って聞かせた予言の力の話を要約すると)。ヴォルデモートは最初から愛を与えられませんでした。だから奪われようがありません。闇に抗うことができません。そして最後には愛の力を持つハリーに打ち負かされるのでしょう。でもそれだとしたら、ヴォルデモートがあまりに可哀想すぎませんか。
愛されないものが、愛を知らないものが、悪に走って、最後まで不幸せなままだなんて、そんな作品はいやだ。
誰か、誰か、誰か!
彼らを哀れんでほしい。手放しで「かわいそうに」と思ってほしい。
ダンブルドアならそれができたと思います。
でももうダンブルドアは死んでしまった。怒りに燃えるハリーしかいない。
ローリングさんが少しでもそういう目線で7巻を描いてくれますように。
あるいは、読者がそう思えるような描きかたをしてくれますように!
頼みますローリングさん! 悪役にも『愛の力』を。
