リリーがセブルスと和解できずに終わってしまったのは本当に残念なことです。リリーこそが闇をも死の恐怖をも超越して先生を生かす原動力になったのに。リリーによる先生の評価がほしいところです〜〜。自分への「身勝手な愛」はともかくとして、先生は命を掛けてハリーを守ったんですから。
親世代は青さで色んなものを失っていると思います。思い上がり、残酷さ、臆病な自己正当化、強すぎる愛情、そんな負の要素が本当に上手く表現されているところがハリポタのすごいところだと思います。
でも、若いときに取り返しのつかないことがあってとしても、ひたむきに罪滅ぼしを続けることで報われることがある、そういう救いが欲しかったな。
ハリーが見識を改めて「最も勇敢」と言ってくれたことが救いではあるのですが、それは読者への救い、ハリーへの救いです。読者が納得できても先生は納得できてないじゃないですか。「リリーへの愛」以外に先生が生きていて得るものがあったとしたなら話はまた別ですが…
リリーはセブルス少年にもう少し優しくして欲しかったなぁ。15歳と言ったらそれなりの分別がつく年齢で、「ごめん」で許されないこともあるとは思うのですが、それはジェームズたちも同じでは?そう考えるとスリザリンに入ったセブルスはつくづく運が悪いです。死喰い人がいなければ。自分の身なりがもう少し小綺麗であれば。リリーがマグル生まれでなければ。セブルスが幸せになれる未来も充分にあったと考えると悔しくてなりません。
セブルスとジェームズの関係は「グリフィンドール/スリザリンである」ことによって人物像がどんなに歪められるかという興味深い例だと思います。勇猛果敢な、あるいは狡猾な役回りを割り振られる「組分け」が私はとても嫌いでした。
だからこそハリーがアルバスに「どちらでもいい」と言ったことは救いだったのです。
リリーがスリザリンだったらどうなっていただろう。セブルスがグリフィンドールだったら。